第四話

 南斗学園の東端に位置するバンジージャンプ台。

 そこで、一人の男が蹲って震えていた。

 遠山銀五郎である。笑子の圧倒的な強さを目の当たりにした彼は、完全に戦意を喪失し、その心は恐怖に支配されていた。

「ここはワシなんかが来ていい場所じゃなかった。身の程を弁えるべきだったんだ……」

 不意に足音が聞こえた。

「……誰だ?」

 銀五郎の身体が硬直する。今、彼の胸中にあるのは、生きて帰りたい、そしてプロ野球を観ながら、ビールを飲みたいというささやかな望みだけだった。

「怖がることは無いわ、私よ」

「その声は……半井満子」

 銀五郎の前に現れたのは、満子だった。

 かつて、晴斗が理事長になる前、更に言えば銀五郎が南斗学園の教師であり『扇ア~同好会』の顧問であった頃。中々人気が出ず、廃部寸前といったところで銀五郎の前に現れた女子生徒が半井満子その人であった。

 以来、銀五郎と満子には面識がある。

「あなたにお願いがあるの」

「ワシに、お願い……?」

 訝しげにする銀五郎に、満子は微笑みながら言った。

「そう。二人で共に、この大会の頂点を目指すの。優勝した暁には、私はプラチナの扇風機を、あなたは最強変人の称号の名を得る。悪い話ではないでしょう?」

「…………」

 銀五郎は、改めて目の前の満子を見つめる。

 最強変人とはそれだけでブランドだ。少なくとも、一度それを賜れば一生生活には困らない程の。

 つまるところ、それだけの修羅場を越えてきた者のみが得られる称号。それを、眼前の少女は持っている。

(この女とならば、やれるかもしれない)

 気付けば、銀五郎の震えは止まっていた。

「……お前の武器はなんだ?」

 その問いかけは、暗の了承であった。

 満子は相変わらず笑みを浮かべながら、一個のタワシを取り出した。

「これよ」

「そ、そのタワシは……ッ?!」

 銀五郎が戦慄する。

 彼の作るタワシは汚れのみならず人の命さえ消し去ると謳われた幻のタワシ職人、人間国宝・遠山時雨三郎の一品である。

 満子は、笑顔のままで、しかし心なしか先程までとは違い凄惨な色を含んだそれで、言う。

「このタワシで……まずは、私の妹を葬りましょう」

 

 

 

 一方その頃。

 笑子は、腹を空かせた猛獣と対面していた。

「あなた……? その声は、李徴なのね?!」

 彼女の目の前にいる虎は笑子のかつての親友、李徴という男だった。

「モニュ」

 李徴が応える。

「そう、そうよね。ところで李徴、お願いがあるのだけど……」

 笑子は李徴に、そっと耳打ちをした。

「モニュ、モニュモニュ」

 快く頷く李徴。

「ふふふ……勝った」

 どこか冷酷さを感じさせる笑いを浮かべる笑子。

 笑子は李徴の背に跨ると、校庭へと赴く。

 

 

 

 そして。

 南斗学園の校庭に、対峙する影があった。

 片や、タワシを手で弄ぶ少女と、血のように紅い剣道着を纏った男。

 片や、己より一回りも二回りも大きな体躯を持つ虎を従えた少女。

 先に口を開いたのは、満子だった。

「よく、ここまで来たわね」

「……」

 笑子は、しかし何も答えなかった。代わりに腰のホルスターから拳銃を取り出し、満子に突き付ける。

 満子は銃口を向けられてもなお一切動じず、むしろ微笑みすら浮かべて、呟くように言った。

「残念よ」

 ――そのやり取りを横目に、銀五郎が言葉を発する。

「で、ワシの相手はアンタか」

 事前に回収してきた二本の刀を構え、真っ直ぐと李徴を見据える。

……満子程の存在感は目の前の虎からは感じられない。この程度ならまだ自分にも勝ち目がある、と彼の脳が判断を下す。

対する李徴は小さく頷くと、両の牙を口から覗かせる。

獣と武人が、その四肢に力を巡らせる。

校庭にピリピリとした緊張が走る。

四者が今正に激突しようとする。

その時だった。

 上天でキラリと何かが輝くと、一直線にそれが双方の間に落ちてきた。

 ゴウッ! と衝撃波が周囲の土を捲り上げる。

「やあ、諸君」

 人の形をした『それ』が、涼しげな声を発す。

満子、笑子、銀五郎、李徴の三人と一匹の視線を奪いながら、悠然と歩を進める『それ』は。

南晴斗は、両腕を広げながら言った。

「我も、混ぜてはくれないかね?」

 その直後。

 周囲が再び爆発した。