第一回「なぜミステリを読むのか」

どうも、白畑薫です!
このコーナーでは、主にミステリ小説に関するエッセイのようなもの(要は単なる雑文です)を書いていきたいと思っています。

取り留めのない内容になると思いますが、楽しんでいただければ幸いです。

なぜミステリを読むのか

現在、日本で最も売れている小説のジャンルは、ミステリだと言われています。
かく言うぼくも、ミステリが大好きで毎日のように読んでいます。
なぜ、人々はミステリ(推理小説)に惹かれるのか。以前に読んだある本で、作家の太田忠司氏が大変興味深い記述をしていました。以下に引用してみましょう。

 

 自分自身では如何ともしがたい事態、到底容認できない不条理に押し潰されそうになったとき、「ロジックが世界を支配する本格ミステリ」の世界に飛び込むことで一時の平安を得ることができる。論理が勝利する物語に浸ることで、一瞬でも疲弊した心を癒やすことができるのだ。
 それを人は逃避と呼ぶかもしれない。しかし、この時、この一瞬が、壊れかけた魂を救うことだってある。本格ミステリは、そう、人の魂を救うことができるのだ。

                    有栖川有栖『スイス時計の謎』(講談社文庫)解説より

 

小説家が作り出す虚構の世界は、そのジャンルを問わず、読者の心の支えになっています。当然、ミステリもこの例外ではないのです。

稀に、「人殺しの話を娯楽として読むなんて不謹慎だ」とか「推理小説は人の命を軽視している」などという批判が、ミステリには向けられます。

この問題についてはどう向き合うべきなのでしょうか。

推理作家の有栖川有栖氏の作品に登場するある人物は、以下のようなことを述べています。

 

「推理作家は、殺人が好きだから殺人事件を描くんじゃない。(中略)推理小説の根底には、だれかの死をほうっておかない、という気持ちがあるの。それがない世界では、推理小説は書かれないし、読まれることもない」

                      有栖川有栖『虹果て村の秘密』(講談社文庫)より

 

ミステリを読む理由は、もちろん人それぞれです。人間が好きでやることに、意味や理由を求める必要なんてないのかもしれません。ただ、声高に宣言できることが、ここにひとつだけあります。それは、現実の世界にはミステリに心を奪われた人たちがたくさんいて、ぼくもそのうちの一人である、ということです。